もう一人の自分。発達障害診断までの道のり

自己理解

52歳過ぎて初めて知った事実

こんにちは、皆さん。今日は、私が長年抱えてきた生きづらさの正体が明らかになった体験についてお話ししたいと思います。

52歳を過ぎて、発達障害の診断を受けた私。

「まさか自分が?」というのが正直な感想でした。

でも、振り返ってみると、子供の頃からどこか周りの人とは違う感覚があったのも事実。

「自分はオリジナルな人間だ」

多様性な今の時代、無いが悪いんだ!そう言い聞かせて、ある意味”特別な存在”であることに、少し優越感すら感じていたかもしれません。

興味のあることには驚くほどの集中力を発揮するけれど、すぐに飽きてしまう。

そんな自分のことを、「好奇心旺盛なチャレンジャーなんだ」と都合よく解釈していました。

まさか、それが発達障害の特性の一つだなんて、思いもよらなかったんです。

これまで本当に周りのメンバーに恵まれていたんですね。気が付かなかったんですから。

自分の異変というか、人との違いに気づいたのは、あるプライベートのコミュニティでのこと。最近の話です。

ボランティアのような損得勘定の無い集まりだったのですが、メンバーとの間で意見の食い違いが目立つようになってきたんです。

いい年をして、まるで子供のように怒られる始末。

「なぜ、こんなことで?」「俺だけ?」

正直、何が問題なのか、さっぱり理解できませんでした。

昔から、凝り固まった考え方や行動様式には、どうも馴染めない。それがこの衝突の原因だと思ってました。

意見の衝突も増える一方で、コミュニティにいること自体が苦痛になってきていました。

「もう、辞めてしまおうか…」

そう思った時、ふと、

「もしかして、間違っているのは自分の方なのか?」

という考えが頭をよぎったんです。

自分の事を物分かりの良い賢い人間だと思っていたけれど、もしかしたら、それはただの思い込みだったのかもしれない。今は自分自身が問題児になっている。おかしい。

「発達障害の人は、人の話が理解できないって聞いたことがあるような…」

そんなことを思い出し、発達障害の事をネットで色々と調べてみることに。

すると、どうでしょう。

「これって、まさに自分のことじゃないか?」

そう思える情報が、次から次へと目に飛び込んできたんです。

「発達障害かもしれない…」

そう思った瞬間、これまでの人生で感じてきた数々の疑問や違和感が、まるでパズルのピースがはまるように、一つずつ繋がっていくような感覚がありました。

「もし本当に発達障害だとしても、そうでなかったとしても、一度病院で診てもらっておいて損はないだろう」

そう思い立った私は、すぐに病院探しを開始。

「思い立ったが吉日」

とにかく今日診てもらえる病院をネットで探し、勢いのままに受診したんです。

病院の立地よりも、とにかく「今すぐ診てもらいたい」という気持ちが勝っていました。

こうして、私の発達障害診断への道のりが始まったのです。

同じように悩んでいる方、発達障害についてもっと知りたい方、そして何より、私と同じように「生きづらさ」を感じている方にとって、少しでも参考になるような情報をお届けできれば幸いです。

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